サッカー実況解説の松木安太郎さんは何者?どんな選手だった?

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サッカーの試合をテレビで見ていると、度々実況として登場する松木安太郎さん。

どうしても「騒がしいおじさん」のイメージが強いですが、どんな人なのか知っていますか?

[kjk_balloon id=”1″]今回はみんな大好き(?)松木安太郎さんについてとことん学びましょう![/kjk_balloon]

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松木安太郎さんのプロフィール

出典元:cyclestyle.net

松木安太郎さんは1957年11月28日、東京都中央区生まれの60歳。

小学生・中学生時代は、ゴールキーパー(GK)として活躍。

小学6年生の時には全日本少年サッカー大会の前身である「全国サッカー少年団大会」に出場しています。

高校1年生のときに、ディフェンダー(DF)にコンバートしました。

コンバートとは選手の専門のポジションを変えること。

松木安太郎さんの学生時代

松木安太郎さんは、中学進学と同時に「読売サッカークラブ」に加入しました。

読売サッカークラブJリーグ発足前に存在したサッカークラブ。東京ヴェルディ1969の前身となったクラブです。

高校は暁星高校へ進学しましたが、ユースでの練習の時間帯が普通高校の授業時間帯に当たることが多いため、普通高校に通い続けることが難しく堀越高等学校に転校しています。

高校卒業後は、日本体育大学体育学部体育学科へ進学ましたが、読売クラブでのサッカーの活動に専念するため3年の途中で中退しました。

松木さんはJリーグ・サッカー競技などの普及発展に尽力したことと、母校の発展と名声を高めたことにより、2014年3月10日に日本体育大学から特別卒業認定を授与されています。

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現役時代の松木安太郎さん

1976年(当時19歳)のときに日本サッカーリーグ(後のJリーグ)デビュー。

1990年に引退するまで読売クラブでプレーしていました。

松木さんが在籍していた期間のチーム優勝は以下の通りです。

  • 日本サッカーリーグ優勝3回(1983年、1984年、1986年)
  • 天皇杯優勝3回(1984年、1986年、1987年)
  • JSLカップ優勝1回(1985年)

また、日本代表として1984年5月のジャパンカップ(キリンカップの前身)で代表に初選出され、5月31日の中国戦で国際Aマッチデビューを果たしました。

これ以降、松木さんは右サイドバックのポジションを掴むと、1986FIFAワールドカップ予選では最終予選進出に貢献するなど、国際Aマッチ12試合に出場しました。

監督としての松木安太郎さん

現役引退後、35歳という異例の若さで1993年にヴェルディ川崎の監督に就任されました。

当時のヴェルディ川崎には、キングカズこと三浦知良選手や、ラモス瑠偉選手などスター選手がいましたが、その選手たちを35歳という若さで率いていたのが松木安太郎という人なんですね。

そして、1993年・1994年と2年連続でヴェルディ川崎を優勝に導きました

[kjk_balloon id=”10″]35歳でJリーグ優勝監督っていうのは、未だに破られていない凄い記録。[/kjk_balloon] [kjk_balloon id=”3″]ただのうるさいおじさんじゃなくて、凄い人だったのね。[/kjk_balloon]

1998年にセレッソ大阪監督に就任しましたが、思うような成績が挙げられず1年で退任。

2001年、東京に移転した東京ヴェルディ1969監督に就任したものの成績が上がらず半年で解任されてしまいました。

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松木安太郎さんは凄い人だった

なぜ松木さんがいつも実況しているのかというのは、今の若い世代には不思議に思うこともあるかと思います。

[kjk_balloon id=”8″]私も知りませんでしたけど。[/kjk_balloon]

今後サッカー中継を見るときには、実績があるからこその松木さんの実況にも注目してみてください。

[kjk_balloon id=”16″]まあ、熱が入りすぎてるからうるさいのに変わりはないけどね(笑)[/kjk_balloon]

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